Swinging Cilla

親しみやすいトップ・スター

Cilla Black(シラ・ブラック)はマージー・ビートのシーンから登場し、イギリスのお茶の間の顔として広く知られる伝説的な歌姫であり、イギリスの国民的テレビ司会者である。
ブライアン・エプスタインの元で、ビートルズに次いで最も成功したアーティストであり、彼が生涯で唯一マネジメントした女性のソロアーティストでもある。
柔らかく優しいリヴァプール訛りと、細身な外見とは裏腹にパワフルな歌声。まるで2つの声を持つかのような歌い分けで、たちまち人気を集めた。

クロークルームからステージへ

10代の頃に事務職に就いていたが、ほどなくしてリヴァプールのキャバーンにてクロークルーム(コート預かり所)でパートタイムの仕事を始める。
生来の歌好きだった彼女は、リヴァプールのクラブ・シーンで様々なグループと共演するようになり、無名時代のビートルズとも親交を深めていった。
のちにジョン・レノンの推薦によりエプスタインのオーディションを受けるが、最初のオーディションは失敗で終わっている。
数ヶ月後にクラブ、ブルー・エンジェルでシラのパフォーマンスを偶然見たエプスタインが、彼女の才能を確信して契約を結んだ。

提供楽曲からカバーまで

Love Of The Loved

レノン=マッカートニー提供のデビュー曲。全英最高35位と大ヒットには至らなかったものの、彼女のキャリアはビートルズと深い縁を持つところから始まった。

Anyone Who Had A Heart

バート・バカラック原曲のカバー。劇的に変化する圧倒的な歌声で全英1位を獲得し、大ヒットとなった。

You’re My World

「Anyone Who Had A Heart」に続く全英1位を獲得した名曲。繊細で優しい歌声と、圧倒的で力強くソウルフルな声量が遺憾なく発揮された傑作。

プリシラ・ホワイトからシラ・ブラックへ

ビートルズのマネージャーとして有名なエプスタインだが、彼がマネジメントした中で唯一の女性ソロアーティストであった。
彼の意向により「プリシラ・ホワイト」から「シラ・ブラック」へ芸名を変更することになった。当時は親の同意署名が必要で、父親は「White」から「Black」へ姓を変えることに難色を示していたものの、最終的には合意した。

お茶の間の女王への転身

1967年8月にエプスタインが急逝するまで、彼はシラをテレビの世界へと導いた。結果としてこれは成功し、彼女はポップスターからファミリーエンターテイナーへと転身を遂げた。
1968年のバラエティ番組『Cilla』で司会を務めて毎週自身の歌を歌い、様々な音楽ゲストを招き、定期的に1,800万人~2,200万人という驚異の視聴者数を集めていた。
ポップスターからお茶の間の主役として活躍の場を変えたことで、彼女は国民的スターとして長く愛される存在となった。また、エンターテインメント界への長年の功績を称えられ、OBEを授与されている。

優れたエンターテイナーとして

1960年代当時のマージー・ビートシーンにおいてほぼ男性グループが中心で、女性の表舞台での成功は非常に限られていた。その中で彼女は大きな成功を収めた。
ビートルズの妹分として扱われることも多く、当時の音楽業界において女性が活躍する環境は決して恵まれたものではなかった。
そんな環境の中でも、彼女は飾らない人柄とユーモアを武器に、屈せず立ち続けた。それもまた彼女が長く愛された理由の一つだろう。
テレビのスターとしてのシラは広く知られている一方で、歌手としての彼女を語る機会は意外と少ない。
柔らかなウィスパーボイスから力強いシャウトまで自在に行き来する表現力は、彼女が「ビートルズの妹分」という枠だけでは語れない。リヴァプールから生まれた歌姫。その歌声を今一度聴いてみてほしい。

次回はThe Everly Brothers(エヴァリー・ブラザーズ)を紹介

その前にロックの海を少し寄り道することもあります。お楽しみに。