That’ll Be The Day, But Not The End

イレギュラーなロックの開拓者

1950年代、ロックンロールが鳴り響くダンスホールでは、若者たちが革ジャンに髪はポマードで固め、サーキュラースカートを揺らして踊り明かしていた。
その中で、スーツ姿に黒縁眼鏡というビジネスマンのような青年がステージに立ち、ロックの未来を変えてしまう。

その青年が与えた影響は大きく、後世のミュージシャンがリスペクトする彼こそBuddy Holly(バディ・ホリー)である。

テキサスで育った少年時代

アメリカのテキサス州ラボックの音楽好き一家に生まれ、幼いころから音楽と多くの楽器に触れて育った。ピアノやフィドル、マンドリン、スティール・ギターなど複数の楽器を習得し、やがてアコースティック・ギターへと落ち着く。
5歳の時には隣町のコンテストにきょうだいたちに連れられて出場した際に、5ドルの優勝賞金を家に持ち帰るなど才能の片鱗を見せている。
ブルースやカントリーに親しみ、ハンク・ウィリアムズの曲を独学で練習し始め、学校の友人たちとカントリー指向のバンドを結成した。
その後にエルヴィス・プレスリーの公演を見て衝撃を受け、ロックンロールへ傾倒していく。

新しいロックバンド像を作った男

バディは既存のロックとバンドの在り方に新たな視点を見出し、基礎を作った草分け的存在である。
友人のボブ・モンゴメリーと『バディ&ボブ』で活動したのちに、The Crickets(クリケッツ)を結成。ここで彼は自ら作詞作曲を行い、リードギターを弾きながら歌うスタイルを確立した。
当時はまだ作曲家が書いた曲を歌う歌手が主流だった時代に、自分たちで曲を書き、自分たちで演奏するというスタイルは画期的だった。
バディたちが築いたこの形は、現在では音楽シーンのスタンダードとなっている。

ロックンロールの傑作からおすすめまで

That’ll Be The Day

初期の代表曲の一つ。映画「捜索者」の主人公が使う決め台詞からインスパイアされて書き上げたロックンロール初期の名曲。

Peggy Sue

シンプルな構成に特徴的なドラム・パターンの使い方が革新的な代表曲。躍動感あふれるサウンドは今聞いても色褪せない。

Everyday

シンプルなのに唯一無二の世界観を持つラブソング。チェレスタの優しい音色も相まって全体的にロマンチックに仕上がっている。

こちらもおすすめ

Lonesome Tears

シングル『It’s So Easy』の裏に隠れた名曲。アコースティックの独創的なコード進行とドゥーワップのポップさが魅力のナンバー。

運命の分かれ道

1959年2月3日、『音楽が死んだ日』と呼ばれることになる。
『Winter Dance Party』ツアーの移動中に使用した飛行機事故により22歳という若さでこの世を去る。
短い生涯と活動期間でありながら彼が残した功績は計り知れない。
早すぎる死だが、彼が残した遺産と革新性は後に続く世代とミュージシャンたちに受け継がれていく。

開拓者として残した足跡

初期のロックンロールにおいて新たな方向性を開拓し、創造性を発揮したバディの作品は多くのミュージシャンたちに多大な影響を与えた。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、エルトン・ジョン…数多くのミュージシャンが彼をリスペクトしている。
特にビートルズは強い影響を受けており、バンド名の『ビートルズ』はバディが率いたクリケッツに触発されたという逸話は有名だ。また、彼らが自作曲にこだわった背景にも、バディの存在があったと言われている。
自ら作詞作曲を行い、バンドで演奏し、黒縁眼鏡のままロックンロールを歌う。
ロックですら定型に当て嵌められようとした時代で、何もかも型破りな姿はロックのパイオニアと呼ばれる所以だろう。

素顔のままで

当時の限られた録音技術や機材など時代は感じられるが、優れた人物と作品はいつの時代でも通用するものでバディ・ホリーも例外ではない。
昨今のポピュラー・ミュージックにおいて珍しくないが、演奏にストリングスの導入やレコーディングの可能性を追求した自宅録音でオーバーダビングを積極的に取り入れた先駆者の一人である。
また、当時カントリー・ミュージシャンを中心に愛用されていたフェンダー・ストラトキャスターをロックシーンへ持ち込んだ先駆者の一人でもある。バディの影響もあり、ストラトキャスターはエレキギターの顔ともいえる存在となった。
飾らない姿のまま未来の音楽を切り開いたバディ・ホリーは、今なおロックの原点であり続けている。

次回はBilly J. Kramer(ビリー・J・クレイマー)を紹介