Maybe baby
1959年2月3日。ひとつの時間が止まった。
突如起きた不幸な出来事に誰もが彼の最期を悼み、惜しみ、悲しみに暮れた。早すぎると。
だが、彼は止まってはいなかった。レコードはまだ鳴っていたのだ。
模倣から始めた者はまた少し形を変え、ある者は荒々しくも生身で挑んだ。
詩の書き方そのものが変わり、音は一段階、別の場所へ進んだ。そして後にも眼鏡と知性は継承されていく。
とある一人は語った。
「ボーカルを消して聴けば分かる。あれはバディ・ホリーだ」
彼の音はロックンロールだった。だが、それだけでは収まりきらなかった。
未完だったからこそ、余白は残った。
‐ 彼がツアーを終えたあと、どんな新作を出しただろうか。
‐ 自分たちの国に来てくれただろうか。
‐ あの曲にアンサーソングを返すだろうか。
‐ 同じ場所に立てたら、どの曲でセッションできただろうか。
その余白が彼らを動かした。
悲しみに暮れ、もういないと偲ぶ日々も、やがて時間が癒していく。
だが、彼に触発されたことだけは消えなかった。
等身大のヒーローは神話になるには少し早すぎた。思い出にするには短すぎた。
完全に孵りきらなかった金の卵に人々は嘆いた。だが、その殻だけで十分だった。
ならば自分たちで続きを鳴らせばいい。彼らはそうして音を鳴らした。
真似た音はやがて姿を変え、借り物だったはずの音は自分たちのものになっていった。
街に鳴り響いたロックンロールは簡単には鳴りやまなかった。
眼鏡の奥のロックンロールは今もどこかで誰かが続きを書いているだろう。