Look at me
かつてロックといえば、革のジャンパーにジーンズ、髪はワイルドに立てた姿。
大人の目に映れば反抗的で品行方正とは真逆の外見は、不良の音楽とみなされていた。
アメリカのロックンローラーの象徴であるエルヴィス・プレスリーもまた、不良の象徴としてレッテルを貼られ、当時ロックンロールそのものの評価はその枠から出ることがなかった。
しかし、バディ・ホリーは違った。
大きな黒縁眼鏡に、きっちりと着込んだスーツ。物腰は柔らかく、淡々とした佇まいからは不良的な要素を探す方が難しい。
けれど、彼の鳴らす音は間違いなくロックンロールだった。
一見すれば、ごく普通の青年だ。しかしその演奏スタイルはビッグバンドを思わせる体勢でロックを奏でるという、当時ほとんど誰もやらなかったものだった。
意識してセクシーに振る舞うこともなく、声を荒げることもない。
ワイルドさを削ぎ落とした姿は、当時のロックのイメージとは正反対にあった。
バディ・ホリーは、型ができつつあったロックンロールを、彼なりの解釈で組み替えただけだったとも言える。
だがその「組み替え」こそが、誰も成し得なかったことだった。また、眼鏡という存在はロックに選ばれることのなかった象徴でもあった。
それでも彼は臆することなく、堂々とステージに立ち、ギターを鳴らした。
その姿は、まぎれもなくロックンロールそのものだった。
派手ではない。だが、静かなカリスマ性を備えた彼は確かな存在感をもってそれを証明した。
ロックは凝り固まったイメージやこだわりに縛られなくてもいいのだと。
海を渡ったアメリカのレコードが、イギリスの寝室でしたことは一つだけではない。
バディ・ホリーの登場によって、ロックは「姿」を選ばなくなった。
不良でなくてもいい。
崇められるカリスマでなくてもいい。
声を荒げずとも、芯があればロックンロールはできる。
曲を書くのも、音を鳴らすのも自由だ。
ロックに選ばれなかった人々は、自然とこの開拓者に自分たちの姿を重ねて彼の足跡を辿っていく。
そして海の向こうではスキッフルの精神がロックンロールを追いかけ、やがてブリティッシュ・ロックとして羽化していった。